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末恐ろしいケータイ社会
                2001.07.26 by Heroicus



 ひと頃はテレホンカードがブームで、 公衆電話に入れるコインの枚数を気にせずに通話ができるようになり、 便利になったと思っていたら、 今度は携帯電話が普及してきて、公衆電話の場所を探したり、 通話の順番待ちをする必要もなく、 どこからでも好きなときに電話をかけられるようになった。 また、電子メールも送受信できるようになり、非常に便利になった。 今日の携帯電話あるいはPHS(以下ケータイと総称することにする) の普及には目覚ましいものがあり、 国民一人ひとりが1台ずつ所有するようになりそうな勢いである。

  それに伴って、ケータイの持つ負の側面も問題になってきた。
  匿名性を隠れ蓑にした怪しげなメールが突然に送られてきたりする。
  見知らぬ相手とメールによる交際を続けた挙げ句に、 実際に会ったときに殺されたり、暴行されたりする事件が起きている。
  周りの状況に注意を向けずに通話に熱中することによって交通事故が起きたり、 いつも誰かと通信していないと不安になる若者が出現したり、 学校ではメールでのチャット行為の横行でまともに授業ができないことがあると聞く。 人工的な電磁波が増えて人体に害を及ぼしているという意見もある。
  また、メールは、新たに入力しなくても簡単に転送できるので、 あっという間に誤った噂が広まってしまうおそれがある。
  これらの問題については、他のところで盛んに論じられているので、 ここでは、もう一つ別の側面について述べてみたい。

  あなたは、友達との会話で何気なく話した社長への批判が、 知らないうちに上司の耳に入っていたり、 自分の個人的な行動が、 知られては都合の悪い人の知るところとなっていたりした経験はないだろうか。 もちろん、誰かがあなたの言動を調べるように探偵社などに依頼していれば当然そういうこともありうる。 だが、今ではケータイがあれば、これらのことが誰でも簡単にできてしまう。

  ケータイの普及が始まったばかりの頃に電車の中で大声で通話をしていたような、 マナー違反ではあるがのんきな時代には、丸聞こえだから、こんな心配はなかった。 問題はメールである。

  ケータイ・メールは音声によらない通話媒体としての使い道が主である。 ケータイがこれほど普及してくると、誰がどこでケータイ・メールを使っていても、 珍しいことではなく、おしゃべりを楽しんでいるだけだと見なされ、 誰にも怪しまれない。 公衆電話で他人の通話に耳を傾けるのがマナー違反であると同様に、 他人がケータイ・メールをやりとりするのを盗み見る人はいない。
  ここに怖さがある。あなたから少しだけ離れた所にいる同僚が、 あなたを監視していて、 その報告をこっそりと上司にメールで知らせ続けていたとしても、 あなたはそれを知ることができない。 あなた以外の仲間が、 あなたのすることで仲間に都合が悪いことがあったら メールで知らせ合っているかも知れない。 だが、あなたは気が付かない。
  つまり、相互監視の道具として、ケータイは非常に役に立つのだ。
  誰にも怪しまれずに、公安関係の情報調査機関がこれを使用することができる。 私服警察官が、 尾行している相手について逐一報告するためにケータイを使っていても、 気が付く人はいない。
  これから先は、ケータイにビデオカメラや動画の送受信機能が 搭載されていく。テレビ電話というふれこみで普及していくのだろうが、 これも使われ方によっては非常に危険な道具になりうる。 特別な機材を持ち運ぶ必要もなく、ケータイさえあれば 映像で監視対象の人物の様子を生中継できてしまうのだ。
  上に書いたような、 プライバシーを暴く行為を目的としてケータイを使用する人はごく少数だろう。 しかし、怪しまれずに人を監視ししたり、 知人のことを上司や警察に密告しようと思えば 『簡単にそれができてしまう道具』としての側面が、ケータイにはある。 そのことを忘れてはならないと思う。
  権力者や、人を管理する側にいる人がこれを利用すれば、 江戸時代に形作られ、終戦まで続いたような、 国民を相互に監視させる仕組みが社会の隅々にまで整えられた状態が、 いとも簡単に再現できてしまう状況になっている。 恐ろしさに身震いするのは私だけだろうか。

  ケータイの普及を手放しに喜んではいられない。


 

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